「考える」ということ
「自分で考えなさい」というフレーズは、日常的に耳にします。
職場でも学校でも、言われてきた経験がある人は少なからずいるのではないでしょうか。ですが、実際、「考えるとはどういうことか」ということに関しては、きっちりと教わった経験がある人は少ないと思います。
というのも、まず学校教育では教わりませんし、職場ではいちいちそこまで教えてくれる人がいないからです。
学校で教わるのは教科です。ですから、その教科の知識と解決できる(解答が用意されている)問題の解き方だけです。それは、決して、考えることそのものではありません。
確かに、勉強ができる人には思考力が備わっている人が多いのも事実です。
しかし、勉強ができるからといって、考えることができるかというと、必ずしもそういうわけではありません。勉強をすることで思考力が養われるということもありますが、それで十分というわけではないのです。
大切なのは、「考えるということがどういうことか」を意識して訓練していくことです。でないと、ただ何となくでこなすだけで、効果的に身に付けることはできません。
トレーニングもそうですよね。何のためにどこを鍛えているのかを意識的に行わなければ、効率良く鍛えられないのと同じです。
考えるということがどういうことなのかを意識した上で、訓練していかなければ、思考力が身に付くことはないのです。
「勉強はできるけど仕事はできない人」という言葉を、しばしば見聞きすることがありますが、こうした理由によります。解法を身に付ければ、勉強はできるようになります。
しかし、そればかりできても、答えのない問題に立ち向かっていく時、あるいは、目標達成のために自分で問題を設定して事にあたる時には、それまで身に付けた解法が役に立つとは限らないのです。
時には、何の手がかりのないところから、答えを探していかなければなりません。自ら進む道を切り開いていくために必要なのは、限られた解法ではなく、創造的な思考力なのです。
仕事においても、考えることは不可欠です。でも、できない人が多い。かといって、職場では「考えるとはどういうことか」を一から丁寧に教えてくれる人はいません。時間も限られているでしょう。
だから、仕事を何となくこなしていて思考力が身に付くことはありません。それは、学校で教わってくるものという社会的な通念があるからです。
しかし、学校で教わるのは思考法ではなく、教科です。したがって、考えるということがどういうことかを知らない人が、意外と多いのです。
考えるとはどういうことか
試しに周りの人に「考えるとはどういうことか」を訊いてみて下さい。即答できる人は、極めて稀だと思います。なぜなら、体系的に言葉として教わってこないからです。
かと言って、考えることができないかといえば、そういうわけではありません。考えることのできる人は、息をするように、歩くように、自然の行為として考えることができるからです。
でも、それを敢えて言葉にしようとすると難しくなる。それは息をすることや歩くことがどういうことなのかを言葉で説明しようとするのが難しいのと同じです。
でも、息をしたり歩くのと違って、思考力は鍛えなくても誰にでも身に付けられるものではないのです。
ですから、意識的に実践するためには、考えるということがどういうことなのかを体系的に学んでいく必要があります。つまり、考えるという行為を、まずは、言葉で理解するのです。
考えるというと、「頭を働かせること」といった説明がなされていることが多いです。間違いではないのですが、十分な説明とは言えません。
単に、あれやこれやと思いをめぐらせて、頭を働かせても考えることにはなりません。部屋を散らかったままにしておくのと同じです。
大切なのは、筋道を立てて頭を働かせることです。つまり、整理整頓しておくことが重要なのです。
では、どのように整理する必要があるのか。それは、原因と結果によってです。
「○○な原因があるから、△△な結果が生じる」というように、原因と結果によって物事を整理するのです。そうして、物事を原因と結果によって整理し、判断していくことが、考えるということに他ならないのです。
このような原因と結果の構造のことを論理と呼びますが、言い換えるなら、考えるということは論理的に頭を働かせることとなります。
まとめ
思考力を身に付ける上で重要なことは、考えるということがどういうことなのかを言葉できちんと理解し、意識的に実践していくことです。
それは論理について学んでいくこととも言えます。論理について学び、自ら考えることのできる力を身に付けることは、仕事においても、生きる上でも、欠かすことのできない能力なのです。
しかし、残念ながら、こうしたことを体系的に学べる機会は、それほど多いわけではありません。
学校の勉強で身に付けられるかというと、そうではありません。勉強することと考えることは、同義ではありません。
既存の教育課程の勉強によって身に付けられるのは、答えのある問題に対する解法であり、思考力ではないのです。
ですから、考えるということがどういうことなのかを、きちんと理解して実践していかなければ、身に付けるのは難しいでしょう。
しかし、身に付けること自体が難しいわけではありません。どういう観点から、頭を働かせていけばいいのかを、体系的に理解したなら、あとは経験を積むだけです。
思考力が身に付いたなら、道を切り開いていく上で、大いなる助けとなるでしょう。それが、人として自立して生きていくことにつながるのです。
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